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働く環境 CULTURE

Q&A 社員の本音

河上金物で働く人に こっそり たずねたナイショのホンネ

入社の決め手は 何ですか?

  • 親友のお父さんが働いていたから、知ってる人がいたら働きやすいかなと思って(30代男性)
  • 高校の先輩が「のんびりした会社だよ」って言ってたから(20代女性)
  • 県内有数の老舗で大手の商社だから、安定していると思った(30代男性)
  • 合同説明会で聞いた仕事への思いに感動したから(20代男性)
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    ここはイマイチって ところはありますか

  • 女性用のトイレが少ないこと!最近はキレイになって数も増えているけど、もう少し整備して欲しいなぁ。(20代女性)
  • 社内きってのイケメンが最近、結婚しちゃったこと。(20代女性)
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    女性は働きやすい 会社だと思いますか?

  • 働きやすいです!髪型やネイルもうるさくないのでおしゃれも楽しめます♡(20代女性)
  • 働きやすい。結婚・出産を経た先輩社員も多くて、私も子どもを産むならこの会社でって考えてます。(20代女性)
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    ぶっちゃけ 人間関係はどうですか

  • いいです。よくある意地悪なお局様とかいなくて、女性社員は世代 を超えて 賑やかです。(20代女性)
  • いい方だと思います。一番いいのは、無理に距離を詰めてくる人がいないこと。自然な距離感がありがたい。(20代男性)
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    残業時間は、だいたい 月何時間程度ですか?

  • 部署によっても違いますが、倉庫管理はほとんど残業ないので帰宅は早いです。(20代男性)
  • 仕事を次の日に持ち越したくないタイプなので、他の人に比べて私の残業時間は多いかもしれません。そのせいで、 次の日することがないってこともたまにあります(笑)(30代男性)
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    おもしろい 社員がいると 聞きましたが

  • もう退職された方だそうですが、山手にあるお客様のところに行ったついでに山菜採りをしようとして、斜面を滑落し、上司の携帯に助けを求める連絡を入れてきた人がいたそうです。自由な会社だなぁと思いました。(30代男性)
  • 普段は引きこもり気味なのに、突然旅行に行きたくなって、鳥取砂丘日帰りとかしちゃう僕のことでしょうか(30代男性)
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    中途入社を検討 されている方へ一言!

  • 取り扱い商品が多くて最初は戸惑いますが、上司・先輩や同僚もみんな最初はそうでした。穏やかな人が多いので、臆せず飛び込んで来てください。(30代男性)
  • 創業135年の歴史があるため、話をする部長クラスの担当者が新入 社員の頃からおつきあいのあるケースも多く「河上さんね!」といった感じですぐ受け入れられるので仕事はしやすいです。(30代男性)
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    ABOUT 商社とは

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    「売りたい人」と「買いたい人」をつなぐのが、そもそもの商社の基本です。現代はそれだけにとどまらず、相手の目線に立って物事を考え、企画、提案、知識と情報力を備え、需要と供給の架け橋となって社会に貢献する存在となっています。

    そのため商社で働く人材は、自己の成長につながる向上心、失敗を恐れず挑戦し最後のでやり遂げるチャレンジ精神の持ち主であることが求められます。

    商社とは
    「人間」である
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    職種を問わず、これからの社会に必要なのは人間力です。当社が身を置く土木建築の業界は、専門化・細分化の 進んだ業 界です。メーカー、ゼネコン、職人がそれぞれプロとして自分の職 務を全うしています。プロが集まり、高い意識を持って作ったものは、安全面、機能性などすべての面で作品と呼べるものです。私たちは、自らの手で作品を作るわけではありません。だからこそ、資材の調達を通して細分化されたプロたちをつなぐことが使命です。人と人、人ともの、人と現場をつなぐため、私たちもまたプロだと 言える人間力をより高いレベルで身につけていきます。

    ルールブックは
    上書きするものである
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    長い 歴史 を誇る当社には、組織 を継続させるためのルールがあります。それを守り伝えることで、河上金物は規模を広げ、領域を拓いてきました。ですが、ただ守り伝えるだけでは、これからの時代の変化には対応することができません。日本という国が根幹から激変した明治期に創業し、大正、昭和 、平成と 時代 が移る中、その時々の「いま」にそぐわないルールは、常に書き換えられてきたはずです。
    令和の世になり、社会のあり方が根本から 変わる中、古いルールブックを抱えたままでは生き残っていくことができません。次の100年のため、ルールブックは常に新しく、 時代に即して上書きされなければなりません。

    就職とは
    人生をあずける場所を
    決めることである
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    就職とは、生きていくための金を得るために働くということである一方、自分の人生を預ける場所を決めるということです。一般的に会社で過ごす時間 は1日8時間 で週5日、一週間に40時間はその場所にいなければなりません。これを約40年、この先の人生の三分の一。それを預けるに足る職業か、預けられる会社か。そのことを考えられる人であって欲しいと思います。そうやって決めた職業なら、そうやって入った会社なら、多少のことがあっても自ら切り開いていけるでしょうし、自らを高めようとチャレンジする社員を後押ししてくれる会社のはずです。自分の人生は、決して安易に決め、安く見積もらないでください。

    ミッションを
    正しく理解することで
    自分が見えてくる
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    会社の使命(ミッション)は、会社として最も大切にしなければならないものです。自分たちは 何のために、誰のために存在しているのか、社会の中で何の役に立っているのか。こうした会社の存在意義 を社 員の一人ひとりが 正しく理解しなければ、どれだけ働いても 残るのは疲労感と絶望感です。会社が目指すべき「あるべき姿」を正しく理解し示すことは、企業が存続するためだけにあるものではありません。この指針があるからこそ、社員も自分の使命を考え、理解し、意味や価値を感じることができるのです。

    CAREER 評価制度

    0新人事評価制度

    令和2年からの取り組みとして「新人事評価制度」を取り入れています。これは、3ヶ月ごとに社員が自ら目標を設定し、この目標に対する達成度を評価するものです。他と比較する 相対評価ではなく、絶対評価とすることで、社員一人ひとりの自覚とモチベーションを引き出す評価であると同時に、上司・部下とのコミュニケーションの促進にもつながります。

    新人事評価制度 画像

    0自己啓発支援制度

    業務に必要と会社が認めた資格については取得費用を全額負担します。
    難易度の高い資格については、社内表彰の対象にもなり、社員のモチベーションアップにつなげています。

    自己啓発支援制度 画像

    HISTORY 沿革

    • 明治18年(1885年)

      3月、初代河上弥三郎、富山市西町9番地(旧・上新川郡西町9番地)にて独立創業。

      初代河上弥三郎は出身地・富山県婦負郡鵜坂村を出て、高岡市小馬出町の金七本店に奉公し、爾来13年間勤務ののち、明治18年3月、円満退社。

      上新川郡役所より金物商の鑑札を受け、金七富山支店の屋号にて独立開業。

    • 明治32年(1899年)

      富山市大火の類焼を被ったが、数ヶ月後には新店舗を建築し復興。

    • 大正12年(1923年)

      3月10日初代河上 弥三郎死去により、河上 弥太郎が2代目弥三郎を襲名・事業を継承。

    • 大正13年(1924年)

      個人商店ながら、鉄鋼部とセメント部を設け、業務を拡張。

    • 昭和 7年(1932年)

      都市計画指令により、富山市西町9番地の後方に移転。新店舗完成。

    • 昭和20年(1945年)

      堅実主義の経営方針により、地方業界で不動の地位を確立。

      戦災で焼け出されるが、意欲的に再興に取り組み、早くも12月に復興。

    • 昭和21年(1946年)

      事業伸展に伴い、経営を会社組織化し「有限会社河上金物店(資本金5万円)」を設立。

      河上 三郎が3代目社長に就任。

    • 昭和23年(1948年)

      資本金を50万に増資。

    • 昭和27年(1952年)

      業務拡張により、同地に社屋を新築し「本社」とする。

    • 昭和28年(1953年)

      資本金を200万円に増資。

    • 昭和31年(1956年)

      富山市館出町2丁目5番地に鋼材用として250坪の新倉庫を建設。

    • 昭和39年(1964年)

      富山市館出町2丁目4番5号に新社屋を建設し「本社」を移転。

    • 昭和42年(1967年)

      富山市新庄銀座261番地に鋼材用倉庫を建設。

    • 昭和43年(1968年)

      富山県知事より、建設業者登録を受ける。

    • 昭和44年(1969年)

      第24回全国植樹祭

      天皇皇后両陛下お手植用鍬を作成・献上

    • 昭和48年(1973年)

      富山市新庄銀座260番地に「新庄銀座鉄鋼センター」を建設。

      (株)大和との共同ビル完成。1階に「リビングショップかわかみ」を開設。(現在は閉鎖)

    • 昭和49年(1974年)

      2代目河上 弥三郎死去。

    • 昭和51年(1976年)

      石川県野々市町堀内町599番地に「金沢店」を設立。(現金沢支店)

    • 昭和53年(1978年)

      富山県射水郡小杉町鷲塚170番地に「小杉鉄鋼サービスセンター」 を設立。(現建材リースセンター第2工場)

    • 昭和56年(1981年)

      3代目社長河上 三郎死去により、河上 彌一郎が4代目社長に就任。

    • 平成7年(1995年)

      富山県射水郡小杉町白石・鷲塚地内に「建材リースセンター」を建設。

      現小杉支店・富山県射水市鷲塚1017番地)  資本金を1500万円に増資。

      12月1日、河上金物株式会社に社名及び組織を変更。

    • 平成8年(1996年)

      資本金を2000万円に増資。

    • 平成17年(2005年)

      創業120周年を迎える。

    • 平成23年(2011年)

      12月1日、本社所在地を新庄本町2丁目1番120号(鉄鋼センター)に 移転。

      旧本社は「館出支店」とする。

    • 平成27年(2015年)

      創業130周年を迎える。

    • 令和3年(2021年)

      河上 森が5代目社長就任。

      河上 彌一郎は会長に就任。

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