河上金物で働く人に こっそり たずねたナイショのホンネ
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「売りたい人」と「買いたい人」をつなぐのが、そもそもの商社の基本です。現代はそれだけにとどまらず、相手の目線に立って物事を考え、企画、提案、知識と情報力を備え、需要と供給の架け橋となって社会に貢献する存在となっています。
そのため商社で働く人材は、自己の成長につながる向上心、失敗を恐れず挑戦し最後のでやり遂げるチャレンジ精神の持ち主であることが求められます。
令和2年からの取り組みとして「新人事評価制度」を取り入れています。これは、3ヶ月ごとに社員が自ら目標を設定し、この目標に対する達成度を評価するものです。他と比較する 相対評価ではなく、絶対評価とすることで、社員一人ひとりの自覚とモチベーションを引き出す評価であると同時に、上司・部下とのコミュニケーションの促進にもつながります。
業務に必要と会社が認めた資格については取得費用を全額負担します。
難易度の高い資格については、社内表彰の対象にもなり、社員のモチベーションアップにつなげています。
3月、初代河上弥三郎、富山市西町9番地(旧・上新川郡西町9番地)にて独立創業。
初代河上弥三郎は出身地・富山県婦負郡鵜坂村を出て、高岡市小馬出町の金七本店に奉公し、爾来13年間勤務ののち、明治18年3月、円満退社。
上新川郡役所より金物商の鑑札を受け、金七富山支店の屋号にて独立開業。
富山市大火の類焼を被ったが、数ヶ月後には新店舗を建築し復興。
3月10日初代河上 弥三郎死去により、河上 弥太郎が2代目弥三郎を襲名・事業を継承。
個人商店ながら、鉄鋼部とセメント部を設け、業務を拡張。
都市計画指令により、富山市西町9番地の後方に移転。新店舗完成。
堅実主義の経営方針により、地方業界で不動の地位を確立。
戦災で焼け出されるが、意欲的に再興に取り組み、早くも12月に復興。
事業伸展に伴い、経営を会社組織化し「有限会社河上金物店(資本金5万円)」を設立。
河上 三郎が3代目社長に就任。
資本金を50万に増資。
業務拡張により、同地に社屋を新築し「本社」とする。
資本金を200万円に増資。
富山市館出町2丁目5番地に鋼材用として250坪の新倉庫を建設。
富山市館出町2丁目4番5号に新社屋を建設し「本社」を移転。
富山市新庄銀座261番地に鋼材用倉庫を建設。
富山県知事より、建設業者登録を受ける。
第24回全国植樹祭
天皇皇后両陛下お手植用鍬を作成・献上
富山市新庄銀座260番地に「新庄銀座鉄鋼センター」を建設。
(株)大和との共同ビル完成。1階に「リビングショップかわかみ」を開設。(現在は閉鎖)
2代目河上 弥三郎死去。
石川県野々市町堀内町599番地に「金沢店」を設立。(現金沢支店)
富山県射水郡小杉町鷲塚170番地に「小杉鉄鋼サービスセンター」 を設立。(現建材リースセンター第2工場)
3代目社長河上 三郎死去により、河上 彌一郎が4代目社長に就任。
富山県射水郡小杉町白石・鷲塚地内に「建材リースセンター」を建設。
現小杉支店・富山県射水市鷲塚1017番地) 資本金を1500万円に増資。
12月1日、河上金物株式会社に社名及び組織を変更。
資本金を2000万円に増資。
創業120周年を迎える。
12月1日、本社所在地を新庄本町2丁目1番120号(鉄鋼センター)に 移転。
旧本社は「館出支店」とする。
創業130周年を迎える。
河上 森が5代目社長に就任。
河上 彌一郎は会長に就任。
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